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てぃーだブログ › ASYLUM(アサイラム)2011〜Sakurazaka Music & Art Weekend › interview › 遠藤ミチロウ インタビュー「プロジェクトFUKUSHIMA!」に向けて

2011年08月09日

遠藤ミチロウ インタビュー「プロジェクトFUKUSHIMA!」に向けて

遠藤ミチロウ インタビュー「プロジェクトFUKUSHIMA!」に向けて

 8月15日に、東日本大震災の被災地で福島第一原発事故の被害に直面している福島で「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」が開催されます。この日は「ASYLUM2011〜Sakurazaka Music & Art Weekend」のキック・オフ・イベントとして、桜坂劇場のカフェ「さんご座キッチン」で、現地の模様をライブで放映するほか、キャンドルナイトを開催します。
 このイベントを含めた「プロジェクトFUKUSHIMA!」の代表の一人、遠藤ミチロウさんのインタビューをお届けします。
 今年6月の沖縄ライブの際に、話を伺ったものをまとめました。ミチロウさんの故郷・福島への想いとこのプロジェクトへの意気込みをぜひ感じてください。

■プロジェクトFUKUSHIMA!→http://www.pj-fukushima.jp/index.html

●インタビューは、続きをご覧ください↓

遠藤ミチロウ
「プロジェクトFUKUSHIMA!」に向けて。


遠藤ミチロウ インタビュー「プロジェクトFUKUSHIMA!」に向けて

 2011年3月11日、東日本を襲った未曾有の大地震と大津波、そして福島第一原子力発電所の事故。さまざまな問題が山積し、解決の見通しの立たない中、福島で生まれ育ったゆかりのアーティストが集まって、新たなプロジェクトを立ち上げました。
 「FUKUSHIMA!」と名付けられたこのプロジェクトは、8月15日の「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」を手始めに、様々なプロジェクトが長期的に展開されていくことになっています。
 現在の、ありのままの福島を見つめることから始めて、FUKUSHIMAをポジティブな言葉に変えていくというプロジェクト。その代表の一人でもある、パンク・ミュージシャンの遠藤ミチロウさんに話を聞きました。


3月11日、14時46分、
飛行機の中にいた。


 3月11日、東日本大震災の時は、東京から宮崎に移動する飛行機の中でした。着陸したらロビーのテレビに人だかりがしていて、地震と津波のことを知りました。
 1995年、阪神淡路大震災の時は、実際に地震が起きている時の映像がほとんどないんですよね。今回は、津波の映像をライブでそのまま見せられて、自然の猛威に圧倒されて言葉が出なかった。無力感だけが残る感じでした。
 宮崎からの電話はつながりませんでした。その日の夜中に、ようやく東京と連絡がとれました。福島の実家の母親とは連絡がとれません。ツアーでお世話になっている東北のライブハウスとも連絡がとれませんでした。情報はテレビやネットだけで、福島の原発の爆発はテレビで知りました。
 その日から、九州で3日間ライブをやったんですが、13日に、福島第一原発で2度目の爆発があって、その後のライブを3本キャンセルして東京に戻りました。福島も東京も心配でした。
 戻った東京ではライブを自粛するムードでした。節電ということだけじゃなく、『こういう時にライブをやっていいのか?』という感じでした。電気のこととかがあって、物理的にライブができない店もあったようですが、僕は、基本自粛するべきじゃないと思っていました。


津波、原発事故…
その先どうなるのか想像もつかなかった。


 三陸海岸の町を訪ねると、昔の津波の資料館とかがあったんですけど、かなり昔のことだし、ここまでの大津波が来るなんて思いもよらなかったし、誰も対策できてなかったんですよ。
 原発にしてもそれと同じで、僕らは、事故が起きたらどういう風になるか想像がつかない。放射能がどれだけ怖いもので、どういう悪影響があるのかもちゃんと知らなかった。
 

福島の状況が悪化する中、
大友良英さんに連絡をとった。


 震災から一ヵ月くらい経って、福島第一原発の問題も一層深刻になっていました。自分の出身地の福島の孤立した状況が深まっていく中で、チャリティ以外に何かしらできないか考えていました。漠然と、大友良英さんとなら何かできるかもしれないと思ってました。2回しかお会いしたことなかったんですけど、その時に、いろいろなことをきちんと考えている人だっていう印象をもったんです。一緒に考えて、何かできるんじゃないかと思いました。それで、連絡をとってみると、大友さんの方も、やっぱり考えていたらしくて、僕に連絡をしようと思っていたらしいんです。
 実際に会って話をした時、福島で音楽フェスをやろうということになりました。


福島の声を聞いて
継続的な動きに。


 話をした翌週、大友さんは、福島に行っていろいろな人に会って話を聞いてくれました。ブルースシンガーの長見順さん、詩人の和合亮一さん、福島のライブハウスの人たち…。僕らは東京にいるわけですし、実際に福島に暮らす人たちの気持ちを聞かないといけないですから。しかも、こんな時期にフェスティバルをやってもいいものかとも思いましたが、気持ちが萎えてしまっている福島で、今だからこそ祭りが必要なんだっていう声も強くありました。
 当初は、コンサートだけを考えていました。でも、いろいろな人の話を聞く中で、音楽だけじゃなく、美術、アートといった幅広い表現を含めたフェスティバルにしたいと考えました。タイトルは、今の状況の中で、人々が持っている想いを括れるものにしようということで『プロジェクトFUKUSHIMA!』になりました。
 原発の問題は終わりませんし、汚染された土地には何十年も人が住めないかもしれない。プロジェクトそのものを、継続的に福島に目を向ける動きができるものにという方向に変わっていきました。
 大友さんは、平行して『スクールFUKUSHIMA!』というプロジェクトを進めています。ワークショップをしながら様々な表現活動をして福島とそれをとりまく日本や世界を考えていこうというものです。
 それと福島の現状を独自に世界に発信するために、インターネット放送局DUMUNEの全面的な協力をいただいて『DOMUNE FKUSHIMA!』というストリーミング・チャンネルで定期的に配信しています。


戦後の繁栄を見直すために
8月15日の開催に。


 「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」の開催日を8月15日にこだわったのは、僕です。これまで何年か、8月15日に、ノータリンズ【遠藤ミチロウ(Vo&G)・石塚俊明(Dr)・坂本弘道(Cello)】でライブをやってきました。この日は、終戦記念日です。僕らが戦後、平和憲法のもとに戦争に巻き込まれることなく築いてきたと考えていた平和と繁栄、暮らし…。それは、どこかで原発的なものを作ることに乗っかって成り立っていたんじゃないかと思うんです。でも、手に負えない事故が起きてしまった。これまでの豊かな生活が、これでよかったのか、考え直す機会になると思います。戦争が終わった最初の地点に立ち返ってやっていきたいんです。戦後の文化そのものをもう一度考えたいんですよね。


福島/FUKUSHIMAに目を向けてもらうために。

 「プロジェクトFUKUSHIMA!」の動きを通して、とにかく福島のことに関心を持ってもらいたい。何より、福島のことを忘れられるのが怖いし、麻痺してしまうのが怖い。現実の福島はえらいことになっています。日常に埋没することが怖いんです。
 僕は社会的なメッセージを歌うわけじゃないですけど、実際に社会で起きていることに影響は受けます。時間が経過する中で、状況は違ってくるし、自分の中でも常に揺れ動くことはありますが、FUKUSHIMAという言葉をネガティブな言葉から、ポジティブな言葉へ変えていこうとする気持ちは変わらないです。

■遠藤ミチロウ公式ホームページ→http://apia-net.com/michiro/
■プロジェクトFUKUSHIMA!→http://www.pj-fukushima.jp/index.html

取材・文/野田隆司(2011/6/26)



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Posted by harvestfarm at 19:09│Comments(0)interview
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